父親の死を看取る物語☆沢木耕太郎著「無名」を読む

無名171201



息子にとって、父親とはどういう存在なのでしょう?
そして、父親の生の終わりを看取るとは、どういうことなのでしょう?


こんにちは。
【アロマテラピー×心理ワーク】の 立野博一です。
昨夜は、20時から沢木耕太郎著「無名」幻冬舎刊を読み始めまして、
深夜1時に読み終えました。


「無名」は、沢木さんの父親が脳出血で入院された。
そして家族での看護を経る過程で、
父親が58歳になって始めた俳句やエッセイの文章を発見する。
お父さんが亡くなくなった後も、その句集をまとめつつ、
父親との内的対話をするーーという物語です。

私=立野も、父親が亡くなる最後の3日間をベッドサイドでつき添う体験をしているので、
それと重ね合わせてとても興味深く読みました。
「息子にとって、父親とはどういう存在なのか?」
ーーという疑問であり課題が、
息子の胸中にはあるものなのです。

沢木さんの父親は、
「1日1合の酒と一冊の本があれば、それが最高の贅沢」
という。
とはいえ実は……、
大正から昭和にかけて一代で通信機器会社を築いた祖父の次男として生まれ、
その会社の崩壊を受けて、
不運な人生を生きた方でもあるようです。

そして沢木さんは、父親の作句ノートを整理していて、
父親の書いたエッセイの断片も発見した。

そのエッセイの持つリズムや文体が、
まごうことなく自分の書く文章のリズムとそっくりであるのに、
驚かされたりします。


文章の持つリズムや文体とは、
左脳的というよりも右脳的な、
その方の身体感覚に根づいたものでしょう。


父親の残した文章の持つリズムや文体が、
期せずして息子のそれと似るーー
ということは十分にありえますね。


そしてそんな中でも……、
「父親にとって、『息子』とはどういう存在だったのか?」と、
問いかけ続けるわけです。

私の父親の場合は、ある日……、
「もっと(息子が幼い頃に)遊んであげる時間を持てれば、
ヨカッタ。」
と、言われたことがありました。


ウチでは、父親も母親もずっと忙しく働き続けていたので、
休日出勤も多く、
私や弟が父親と遊んだり・かまってもらう時間は、
あまりなかったようなのです。

息子の側は、そんなことはまったく気にかけてないのですが(笑)。
父親からすれば、後から振り返ると、
チョット悔やまれることだったらしい…。


「無名」を読みながら……、
そんな私自身の父親との関係を、
思い出していました。

「父親」とは、本質的にどういう存在なのでしょう?
そして、父親の生の終わりを看取るとは、どういうことなのだろう?


父親と息子の関わりも、さまざま変転を経ながら……、、
息子の人生、さらにその先の世代の人生へと、
見えない影響を伝えているでしょう。


そしてまたこれは、
「生きるとは、どういうことか?」をーー
自分自身も生きる循環の中にありながら、
問い続けることにつながるのではないでしょうか。

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